私がインドに呼ばれた日① の続きです。
話を続ける前にアリタリア航空機の機内で出会った人たちについて書いておきます。
機内で私は当時御茶ノ水の某スポーツ用品メーカーに勤める男性2人と知り合いました。彼らはこれから会社主催のヒマラヤ登山隊のマネージメントとヒマラヤトレッキングルートの開発のためにネパールの首都カトマンズに向かうところでした。
ひょんな事からカルカッタに降り立った私は彼らと共に彼らが予約していたYMCAに来たわけです。私はここで荷を解き深い眠りにつきました。
けれども、この眠りはYMCAの大きな客室と天井の扇風機の風によってもたらされたものだと後のインドでの生活で思い知らされます。
私がこれからのち泊まるような低価格の宿では部屋が狭くて、夜中のこもった暑さはもの凄く数時間おきに洗面所に向かうことになります。バケツに水を汲んでくるためです。その水(いや、この時期インドに冷水はありません。蛇口を開けていつまで待っても生温い水が出続けるだけです)をベッドにぶちまけるのです。その水が蒸発するまでの間の気化熱がもたらす僅かばかりの涼しさにしがみついて眠りを得るためです。
翌日2人はカトマンズはこの時期最高だから来ると良い、我々は一ヶ月ほどいる予定だ、という言葉を残して慌ただしく出発して行きました。
私は未知の大都会カルカッタで1人になってしまいました。それは私が知っている限りの都市とは全く違っていました。一言で言えばこの街はカオスでした。
昨夜私はこの街をタクシーで走ってきたのですが、この街には満足な街灯も無くビルのほとんどが照明を消していたので私が宿泊したYMCAがこんなに街の真ん中にあるとは思いもよりませんでした。
私たちは建物の存在を感じながらも、こんな巨大な都市の中を走っているとは想像すらしませんでした。
朝一番で目にしたのは巨大な都市とそれにも増して大勢の人々でした。YMCAの二階から名前は忘れてしまいましたが大きな川にかかった巨大な橋が見え、その橋の上を仕事に向かうのでしょうか、どこからこんなに出現したのかと思うような数の人が渡っていくのです。橋が人で埋め尽くされていました。
街中が人人人で溢れかえっていました。自分がインドにいるのだと実感した瞬間です。
私はその日一日YMCAのファサードに座って人の流れを見つめていました。人を眺めるのがこんなに楽しかったことはありません。
そして夜になるとYMCAの前にある公園に張られたサーカス団の赤いテントに灯がともりました。風に翻る赤いテントのイメージは40年以上経った今でもはっきり覚えています。
私は次第にインドに魅了されていきました。もう少しここに居てみようと思うようになっていました。
しかし私がカルカッタに居た期間はそんなに長くありません。
あまりの暑さに閉口して2、3週間の後にはカトマンズに向かって飛び立っていました。
大和
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