「オミクロン株」が発生し、フランス、ドイツ、韓国などでも再発生とのことです。「収束」の形が見えない状況で、なかな切り替えが難しいですね・・・。
しかし「コロナ時代」というのは恐ろしいものです。
初めて「ダイアモンドプリンセス号」に感染者が発表された時には、世界中が震撼しましたが、今となっては一年中マスク姿が日常になっているのですから。
歴史が大きく転換している中にいるのだろうな、とは思うのですが、あまりに日常になってしまうのも、息苦しい感じがします。
いつでもいた外国人観光客がいなかったり、会える人と会えない人のか価値が分かれていたり・・・。
しかし世界の死亡者の多さには本当に怖いものがあります。「517万人」という数の一人一人に命と生活と、人生の物語があったのを思うと悲しいです。亡くなる必要の無かった人が、
この時代の為に、亡くなってしまったと思うと悲しいです。そこに家族との大事な繋がりや、人生の大切にしてきたものがあったのに。
※↑コロナ前は、こんな感じでちょっと「密」でも出来たのですよね。(私も参加中!)
真っ先に思ったのは、父が亡くなった瞬間でした。私にとって、若くして亡くなった父の死は、非常に辛いものでしたが、深い愛情を感じる時間でもありました。人の死と向きあう事、その辛さや後悔の葛藤との「和解」の過程も含めて、私は父の「生と死」を受け継いだのでした。
儚く際どい世界の中で、私の中に残っているもの、「生きている」ものやことについて考えるようになりました。
私はただ生きているのでは無く、家族がいたこと、先祖がいたこと、飢餓や戦争や災害や困難を乗り越えて奇跡的に繋いできたこと、好きな人や嫌いな人も同じように、奇跡を受け継いで出会っている。
その中で、しっかりと身体で覚えたヨーガが、私の中に「生きている」ことにも気づきました。
ヨーガも同じなのです!継承されてきたのです。
ヨーガの始まりは、紀元前3000~2500年頃という大昔ですが、初めは瞑想を主体としたヨーガでした。それが13世紀頃、ハタ・ヨーガの原型となる形が生まれましたが、それが現在、多様化しながら、私たちに繋がってきたのです。
そう思うと凄い奇跡に感じます。その時代の人々が何がしかヨーガへの思いを抱いて実感してきた結果が、私たちに届いています。
(※「スムリティ(Smriti)」=「伝統」または聖者によって残された「聖伝書」など意味があります。)
大和先生は、70年代にインドでヨーガを始めましたが、大学の先生の期間があり、その間はヨーガを長年封印していました。
しかし、大和先生はその間も「私にはヨーガがある!」という思いをいつも持っていたとの事で、
私自身も、大和先生からいつもこの言葉を聞いてきましたし、自分でも思い返してきました。
教室に来ていただき、「ふりこ」のヨーガを継承していただいた方々も、繋いでくれて大変に感謝しています。
この、小さな教室にまでたどり着いたインド直伝のハタ・ヨーガが、皆さまの心身に行き届いて生きている。目的は様々でしょうが、喜んでいただいている。
コロナ禍での命の儚さと、私自身の当時の思いを重ねながら、
「ふりこ」の私たちのヨーガが、教室に来て下さった方々にも伝えらえていることと、ほんの少しでも日本でハタ・ヨーガが広がっている事にも感謝しています。
次回は続きです。「継承すること」と「名を遺すこと」について。
野石朱音
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