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私がインドに呼ばれた日③カトマンズの思い出

私がインドに呼ばれた日② の続きの第3弾です。


 ネパールのカトマンズ盆地に降下して行く飛行機から見た光景は、インドとは異なり、緑が多く日本の東北地方の田舎を思い起こさせました。


 先ず、カトマンズ空港から市街地まで運行するタクシーのことが印象に残っています。

タクシー乗り場に並んでいたのはスバル360でした。年配の方はご存じだと思いますが、カブト虫とあだ名された日本製の軽自動車です。

それがタクシーとして使われていたのです。しかも、運転手の他に助手とおぼしき人物が、助手席に乗っているのです。

スバル360は2ドアだったので、まず乗り込むのが大変です。まず助手が乗り、前席シートの背もたれを倒して、大きな荷物を抱えた私がどっこいしょと後席に滑り込みます。

その後、助手が乗り込み大の大人3人でぎゅうぎゅう詰めになったスバルは、悲鳴のような排気音を響かせて、丘の上にある空港から、カトマンズ盆地に広がる市街地に降りていくのでした。


  私はここカトマンズで、インド亜大陸滞在で、最大、最高の数か月間を過ごすことになります。





 この世の天国と言っても過言では無い程、当時乾期のカトマンズは最高に素晴らしい場所でした。柔らかい日ざしに包まれ、快適な乾いた空気、爽やかな優しい風、そして時代物の木造の建造物群、まるでおとぎの国に迷い込んだようでした。毎日、レンタルの自動車に乗って、街中を当てもなく走り回っていました。


 一番のお気に入りの場所は、四方の壁面に目が描かれていることで有名な、カトマンズ郊外の丘の上に建つ、スヴァヤンブーナート寺院(通称目玉寺)でした。ここにはマニ車という仏教経典を収納した円筒状の仏具が寺院全体に備え付けられており、車を廻すことによって、経典を読んだと同じとされるため、功徳を積み来世の往生を願う人が引きも切らず、祈りを捧げていました。

 「スヴァヤンブーナート」とは、原初の主人といった意味でインド後期密教の仏です。原初の主人とは、森羅万象、我々全ての原因となる御方、という意味で、全てのものは、ご主人様から生れ出てそれ以前は存在しない、まさにビックバンの様な存在と言えます。内容的にはヒンドゥー教の創造を司る神であるブラフマン神とほとんど同じものになっています。


 カトマンズと言えば忘れられない味もあります。とある中華料理店で、メニュー表に英語表記された「チャイニーズヌードル」 を注文しました。出てきたチャイニーズヌードルにたっぷりとかけられたケチャップ、この世のものとは思えない不味さでした!その後、各地で色々なものを食べましたが、これほど不味い食べ物に出会ったことはありません。しかし、どういう訳か、その店の華僑の主人とは大変に仲が良くなり、カトマンズに滞在する間非常にお世話になったということも付け加えておきます。ヌードル以外は最高の友人でした。


 また、カトマンズには、もう一人印象的な人物が居ました。当時、インドやネパールではヒッピーのバックパッカーが非常に多い時代でした。私はカトマンズで、30才最前後とおぼしき日本人のヒッピーと出会いました。彼は、ボサボサの長髪と顎ひげという典型的なヒッピースタイルで、酷く痩せこけていました。

 彼の下宿に招待された時の事です。色々な話をしている時ふと横を見ると、ヒマラヤを背に、精悍な身体付きでほほ笑む、凛々しい若者の写真が置いてありました。私がこれは誰なのか、と聞くと、彼は少し悲しげな表情で「俺だ」と答えました。私の目の前にいる人物は、やつれ果てており、にわかには信じ難かったのです。「何があったんだ」と聞くと、彼が言うにはハシシに溺れた結果との事でした。ハシシとは大麻を精製したもので、純度の高い麻薬です。カトマンズは当時ブラック・アフガンと呼ばれる最高純度のハシシが手に入る場所でした。エルビス・プレスリーも使用していたとの事ですが、気持ちを安定させ過ぎるので、やせ薬としても使用されるほどでした。麻薬の恐ろしさを感じた瞬間でした。


 色々な思い出を与えてくれたカトマンズでしたが、十数年後に訪れた私の友人は、カトマンズ盆地のスモッグの酷さを嘆いていました。あの素晴らしいカトマンズはもはや、私の思い出の中だけにあるのかもしれません


 数か月の滞在を経て、私は後ろ髪を引かれながらも、エベレストへのトレッキングに向かいます。次回はその話を書こうと思います。

 


大和


#ネパール #インド #カトマンズ #スヴァヤンブーナート #スバル360

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