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ベナレス(ヴァーラーナシー)へ(私がインドに呼ばれた日⑤)

更新日:2020年3月3日

 デリーからベナレスへは列車の旅でした。

ベナレスには夜に着きました。夜の目にも大きな街でしたが、駅前は他の都市とさして変わりのないように見えました。

しかし一夜明けて歩くにしたがい、寺院の非常に多い街であると分かってきました。

そしてガート(沐浴場)へと歩いて行きました。

人混みの中を掻き分け、巨大なガートを歩いていくと、(後で分かったことですが)死ぬためにインド中から集まってきた修行者たちが道端にあちらこちらに横たわっており、その前の地面には、多くの巡礼者がお金を置いていくのです。

話に聞くと、修行者が亡くなった後に、奇特な人が前にあるお金を集めて、葬儀費用に充て荼毘に伏し、ガンガー(ガンジス川)へと流すとの事でした。


 ガンガーのほとりからと見渡すと、ガンガーの中にある島からいく筋もの煙が上がっており、船着場に横付けされたトラックからは、その都度棺桶が下ろされ、船に乗せられてその島に運ばれていました。それは死体を焼いている煙でした。一方では巡礼者たちが、次々と冷たい水の中に入り、身体を清めている横で、それは行われていました。荼毘に伏すことの出来ない死体は、そのまま流れていくのでした。


生と死が混在し、死のありようがどんな宗教都市よりも表面に現れた街でした。「死が漂う街」でしたが、死は生と対立せずに融和してそこにあるのでした。



 迷路のような路地裏をブラブラと彷徨い歩く中で、数日後、泊まっていた旅館の近くの食堂で、当時ヒッピーと言われた若いドイツ人の男性二人連れと出会いました。

まだ当時のインドは外国人が今のようには多くなく、特にベナレスは、インド人のための聖地であり、外国人の観光客が入りこむ土地では無かったので、何となく会話をする機会を得ました。


すると、その二人連れが「ヨーガを修得するためにリシケシに向かう」と言うのです。当時、リシケシという場所は知りませんでしたが、ビートルズがインドでヨーガを学んだという事は知っていました。それが恐らくリシケシなのだろう、とも想像出来ました。

私は彼らに提案して、私も一緒にリシケシに同行させてもらえないかと頼みました。彼らは喜んで応諾し、私たちはすぐにリシケシに向かって出発することになりました。


~続く~


(※現在ベナレスは「ヴァーラーナシー」とのサンスクリット語の音に近い表記がされることが多いですが、当時の日本で使われていた「ベナレス」表記にしてあります。)


大和



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