ベナレスで知り合ったドイツ人二人組に誘われて、私もリシケシに向かう事にしました。移動に使用したのはジープのような小型の四輪駆動車で、運転手にお金を払い出発しました。車内には5~6人の乗客が乗り込んでいましたが、リシケシまで行ったのは我々3人だけで、後は乗客はそれぞれの目的地で降りていきました。途中道が狭く、車が転落するのでは無いかとの危機感を抱いたこともあります。2~3日かけて断崖絶壁もあるような峻険な道を恐る恐る移動していくような状態でした。
今の「リシュケーシュ」と違い、当時の「リシケシ」(※当時と今では日本語の表記も変わりました)は、人跡未踏の地という様相で、誰もが行くような場所ではありませんでした。(当時リシケシに向かったビートルズも、相当苦労したはずです。)
リシケシに着いたのは夕方でした。「やっと着いたな」というのが正直な感想です。通過してきた他の町よりは大きな町でしたが、思ったよりは小さな町でした。
ガンガー(ガンジス川)もベナレスに比べると小さな川になっていましたが、たっぷりと水を湛えていました。リシケシの中心にはシヴァ神の寺院があり、シヴァーナンダ・アーシュラムというヨーガの道場があり、そこを目指す巡礼者と、世界からのヨーガ愛好者向けの小さな宿屋が連なっていました。私はその内の一軒に泊まることにしました。簡易ベッドが並んでいるだけの安宿でした。
リシケシは小綺麗で秩序だった町でした。町を散策する中で、シヴァ神の寺院に出くわしました。シヴァ神はインドの三大神の一体で、破壊を司る神です。破壊は否定的に捉えられることが多いですが、新しく生まれ変わる為には、必ず破壊というプロセスを経る必要があるとインド人は考えたのでしょう。現在でもとても人気のある神様です。
参拝した後、その先に「シヴァーナンダ・アーシュラム」がありました。アーシュラムとは道場の事で、そこが世界のハタ・ヨーガの中心地であるということは後で知りました。当時の私はヨーガにさほどの興味があった訳では無く、何故そのアーシュラムに行ったかというと、旅館のフロントに聞いたところ、そこでは昼食と夕食が誰にでも無料で振舞われるとの事でした。夕食目当てに行ったのが、私の最初のハタ・ヨーガとの出会いでした。
インドのアーシュラムでは、5時までに夕食が終わります。ですから、それまでに行って食べるという事になります。
今でも覚えているのは、大きな講堂に招き入れられ、床の上で直にベジタブルカレーを食べた事です。シヴァ寺院の巡礼者、近所の貧しい人々、ヨーガの修行者や愛好者、それら全ての人々が一同に会して、同じ食事を摂るのです。カレーとヨーグルト、そしてモンキーバナナが一本が付いていたのを覚えています。
何日間かその辺をぶらぶらしながらも、食事の時間にはしっかりと食べに通っていたわけです。その間、講堂内やガンガーのほとりでは、ヨーガを実践している場面に出くわすという事は多々ありました。そんな光景を見ているうちに、ちょっと自分もやってみようかな、という気持ちになったのです。
世界から集まってきているヨーガ愛好家向けのセミナーの一つに参加することにしました。短期のプログラムで一週間から10日間くらいのものだったと思います。そのプログラムには欧米人のヒッピーや、現代文明とやらに疲れた人々が中心として集まっており、誰もがヨーガが何であるかあまりよく知らずに、ただ神秘的な雰囲気に浸りに来た、というような状態でした。何となくやってみた、しかしそれが私とヨーガとの初めての出会いでした。
次回に続きます。
大和
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